2022/6/16~2022/8/27のこと(天辺のその先、このキスの行方)
このブログでそれについて触れなかったのは、まぁ、ぶっちゃけ自分(好きになって日が浅め、単推し気味、推しは活動を続ける)が何かを嘆くのは筋が薄いなと思っていたからで。
でも当然、「何事もなかったか」と言ったらそんなことはなかった。
虫の知らせ(でもないな、だって受け売りだ)で今年のスローガンにした「好きに生きよう2022」に忠実に、自分にしては頑張って平日に休みを取って福島に行った。でも2部しかチケットが取れなくて、朝イチの特典会でまた夜に!って伝えて、日中は少し仕事をして、合間に見たTLで1部に推しのソロがあったことを知って。
ああ~~;;;;となりながら、どこか冷静に、「珍しく遠征してきた自分のオタクが、自分がソロの方の回のチケットを持ってない、ってことを知るのは、まぁ少なくとも楽しいことではないよな。そういう類のこといっぱいあるんだろうな。決まってても言えないし、言ったとてどうできるわけでもないこと」と思った。それが2022/6/15のこと、だった。
(余談ですがこの日の2部とてもよかった。ライブハウスの距離で聞く「Majesta」と、そうですねあと「夜に駆ける」が。とても)
「私達は地獄を分かち合えない」と書いたあと、気取った書き方をしたけれど、その原因の一つは結構シンプルに「時差」だと思った。知らないことが多い。あとから知ることが多い。星の光が目に届くまでの時間みたいに。
それは悲しいほどに「そういうもの」だと思っているから、ごねるところは一切ないんだけれど。
重大発表とか、大切なお知らせとか、全然、そういうもの、なんだと思うんだけれど。
いつから決まってたんだろう、とか、待ってじゃああのときは?とか、被害妄想が多分にあるのはわかりつつ、楽しかったこれまでの日々を遡って足場が崩れていく感じには、どうしたって慣れない。
だからライブに行かなくてはと思った。
ライブは、ライブだけは、
一切の時差なく、光と音の速度で、
あなたの、あなたたちの届けたい楽しさを、幸せを、元気を、笑顔を、活力を、
分かち合えるものなんだと、そう思ってしまった。
夏。とは言え気の多い私にとっては、何をおいても行くしかない、と決めていたDDPがあった。
8/14大阪、そういえばあれ以来、対面やオンラインでの特典会はあったけれど、パフォーマンスを見るのはこの日が初めてだったんだった。そこに力点をおいて行かなかったのは、多分目当てが多すぎたせいだと思う。初めて会えた方とか、運を使い果たしたかもしれないと思った席番とか、司会とか、あと何よりこの日は「ソロの日」だった。
8/27埼玉、推しにも、多分似たテンションで、かつ多分私以上にDDPを楽しんでいる友人にも朝イチで会えてしまった結果、友人と久々に(?)じっくり話をした。いろいろな話をした。
その果てに2階席で見たDDPは、会場のおかげですごく見やすくて、
見えるものが多かった。
私実はオペラグラスうまく使えないんですよね。まぁキンブレと両立するのが下手、というのが大きいのですが、推しカメラするのに便利なのに、私の「見たいもの」は、視界を狭くするより広げたほうが増える、んだと思う。全体の中の推しが見たい。
OPA、毎度まだ会場が明るいうちからひっそりと涙していたし、
バンドサウンドに乗せられる「あなた」の響きのギャップが好きで、「あなたには笑って生きてほしい」にめちゃくちゃうなずいたし、
これDDPでやらなきゃ嘘でしょ、というくらい「Lit up!!」を楽しみにしていたし、
埼玉行きの電車でMV見て涙ぐむくらいには「キョウイゾンミライ」を好きになったし、
今パラゴンに「一緒に行こう 次の時代へ」と言わせた誰かが存在する限り、私はこの沼で幸せに生きていけると思うし、
実は全編通して、自分の中でいちばん「ブラボー!」ってなった演目は「ショコラティエ」だったんだけど。
それでも、「Shadow Kiss」がとても刺さったし、「パシフィック展望台」で久々に泣いてしまった。
「何回も越えて行こう」と伸ばされた手を取れることが幸せで、天辺のその先を確かめられる日が着実に近づいていることに震える。
一方で、「あなたが望むなら地獄だっていい」か、と聞かれたら、そうですね、とストンと思ってしまうのだ。
……このブログずっと地獄の話してるな。思えばそもそもこんな名前だし、それはあなたの二つ名から来ているのにね。因果かな。
こんなに「君じゃなきゃ」じゃなかったはずなんだけども。
私にこれを書かせたライブがDDPでよかった、というのは8/16に行けなかった強がりが5割です。
困ったもうライブが見たい、のに来月の予定にねじこめていない。