善意で敷き詰められている

脈打つ大地の檜皮色/君の好きなグリーンでもっとハイになって

2024年、夏の終わりのこと(ここは光の先)

 

これはさすがにもう秋といっていいんじゃないか、という気温になった。最後の夏日に今年もなったな? まだ? 最後の花火は自分で決められるけれど、最後の夏日は自分では決められない。夏日、そろそろ定義を見直したいところですね。でも今年はあまりに暑くて、「10月」という字面のダメージが小さいのは救いだと思う。そのうち、寒さと11月が同時に来て心身ともに詰むことは目に見えているのだけれど。

 

今年夏があまりに長かったのは、一説にはMeseMoa.の日フリーライブが延期になったことが原因だと言われている(n=1)。「これをやらないと夏が始まらない」「これをやらないと夏が終わらない」、愛すべきリーダーは確か両方言っていた。どっちやねんと思わなくもなかったけど、たぶん本当に両方なんだとも思う。

「絶対に新しいものが見られる」ことは、経験とか、推しのキャスからわかっていた。それがたぶん、「新しい」だけじゃないことも。

この日に何が見たいかと聞かれたとき、「You're the love」と答えた。ゆあざは、単推しを拗らせた私が、去年の8/16に「これはもう見られないかもしれない」と思った曲だった。「もうやってくれないのではないか」ではなく「さすがの自分もここで『しーろーふーく!』以外のことを言えないのではないか」の意味で。

そう思ってから幾星霜、いやそんなに長くもないな、ともかくぎぶごを終えた私はころっと「『きーまーぷーり!』って言いたい!」って強く思うオタクになっていたし、はたしてMeseMoa.が選んだのは、そこを全員で歌う、だった。納得しかない。迷いなく「めーせーもーあ!」ってコールできた。超気持ちよかった!

 

 

「真逆の糸」は、正直やると思っていなくて、だから殺生石終わりのポーズを見たとき、本当に素直な気持ちで叫ぶことができた。このイントロ知ってる。この配置知らない。びっっくりした。本当にノーマークだった。

編成を変えるとき、基本的には5人の既存の歌割に4人分の歌割を乗せるのが定石だと思うのだけど、真逆については、全構成を作り直していたのもとても印象的だった。そうまでしてやってくれたこと。そのセンターが推しだったこと。

「真逆の糸」という曲について語り始めるとおそらく論文になってしまい、それをやるとリハビリで書き始めたはずのこのブログが未完に終わってしまうのでほどほどに書くけれど、あんな「二番煎じ」ありきの曲のセンターに「野崎弁当」として立ってくれたことがとても嬉しかった。二番くんの真逆はなんというか「二番煎じ」としか言いようがなくて、ずっと真ん中にいるのに流されて見える振り付けも、最後その意味もわかっていないようにすら見える眼差しで糸を掴んでしまうところも、空虚で透明で、それでなお全然弱々しく見えない存在感も、彼にしかできないと今でも思う。

真逆の糸、何が真逆かって「行き先」だと私は思っていて、だから二番くんが掴んだ糸は、「切れない」ほうが好み。選ばれる、愛されるという修羅の道を進んでしまうほうが。

一方で野崎さんの真逆は、それこそ「真逆」に見えた。ギラギラした意志の見える眼差しとか人間臭い態度とか、外野の声を振り払うみたいに糸を掴む仕草とか。タロットカードの逆位置みたい、と思う。なお私のタロットカード知識は金田一少年の『タロット山荘殺人事件』がすべてなのでこれ以上深い話は出てきません。

だから野崎さんの糸は、「切れた」という解釈のが好み。糸を掴んだ手を見つめて、最後前に伸ばした手をそっと下ろして、望まない結果を背負ってなお生き続けるほうが。

 

多分でも、同じ真逆はもう見られないと思うし、次に見た真逆はここまで書いたものと全然違うのかもしれない。それはそれでとても楽しみですほんとうに。だからどうかまた見られますように。余韻に浸りたい気持ちもあるけれど、なるはやで全然大丈夫です。

 

 

真逆も烏合もイイコノママデも、ものすごく完成度が高くて、「MeseMoa.」として出した曲をどんどんできるようになってくれることに勝手に気概めいたものを感じて、そういうものをすごく買ってしまう。こんな言葉遊び誰が気づくんだという感じですが、最近たぶん私「推しのいるグループ」って書いてないと思う。まごうことなき「推しグループ」。

 

 

パシフィコ公演の発表があったとき、当たり前のように前回のパシフィコ横浜公演を思い出した。あのとき、白服さんが「武道館への光」の話をしたあとにMC順が回ってきたノックソさんが、「白服さんのいう光まで……光の先まで」って言い直したのがすごく好きで、ずっと覚えている。とか言って正確じゃなかったらごめんなさい。

あのころ、沼に落ちたばかりの私は楽しくて幸せで、幸せな頭の片隅で、この日々がどう終わるのかを考えていた。私らしすぎる。あまりに愛が大きすぎると失うことを思ってしまいますね。でもさすがに、その問いのまんま持ち続けることはできずに、「光の先に何があってほしいか」という問いに変えてしばらく反芻していた。そうこうしていたらコロナ禍があって、いろんな意味でその問いは適切ではなくなったけれど。

気づくのが遅すぎたくらい、今ここは間違いなく「光の先」なのだなと思う。こんな未来想像してなかった。でも、それが今ここでとても嬉しいです。

 

だから「New Journey」、のっくんに「また始めよう」の歌割を振ってくれるの解釈一致でしかない。「今MeseMoa.の話をしようとすると7割ノックソの話になる」と口走ったのは確か3月のことでしたが、その1%くらいを無事書けました。よかった。続けます。

「New Journey」、友人と話したときに、「次のツアーのリード曲にしてはリリースが早かった」という話が出たのですが、「ぎぶごを経た勢いでそのまま世に出した」と無邪気に思ってしまっている。「ヨーソロー!」で漕ぎ出した後、「上陸した」と思ってもらえたこと。地に足つけて歩いていく曲なのも大好き。

「旅は命のパレード」、すごいフレーズだと思う。まず「旅」がアイドル人生の比喩なわけじゃないですか。それを指して「命の」「パレード」だと、アイドルは生き様を見せて歩くものだと、そういう比喩だと思っています。そんなの、もちろん買ってしまうよ。

 

 

 

秋風に吹かれてセンチメンタルモードになるとすぐに自虐に走ってしまう癖があり、心の中の私が言語化能力の低下にまず落ち込み始めたので、完璧を目指すよりまず終わらせろの精神でここまで書いてきた。ここ半年くらい、いい意味でも悪い意味でも、言葉を蔑ろにしてきたツケだと思う。また書いた端から後悔して書き直すかもしれないけれど、ひとまず記録できてよかった。

感情が大きすぎて、ぎぶごのブログを諦めてしまったのもよくなかった。でもあのとき作った短歌はそれなりに気に入っているので自己満足で再掲します。

 

きっと今同じ気持ちと手を伸ばすgivemeFIVE愛を交わして

金色の魔法の名残飲み干せば題名のない朝がまたくる

ここに来るまでの苦労のことなんか知らなくていい(少しだけ嘘)

大丈夫涙はダイヤに変わるからおいで悲しみ抱えたままで

閻魔様が声をかけそこねるくらい僕らへらへら笑ってようね

 

可笑しくなるくらい、ずっと同じ気持ち。

僕らへらへら笑ってようね。

 

 

2022/8/28~2024/1/1のこと(地球が終わらなかった夜)

 

やけにタイトルの期間は長いですが、要は横アリとカウコンの、あるいは「平成パラダイムチェンジ」と「ヨーソロー!」のブログです。

 

 

 

「一緒に行こう 次の時代へ」が、初めてそういう意味に聞こえたとき、

その歌詞を歌っていたのはなるきくんだった。

2022年DDP埼玉公演。

MeseMoa.の体制がいずれ大きく変わることが発表されたばかりの夏に開催されたDDPで、パンダドラゴンが歌う「平成パラダイムチェンジ」を聴いたこと、(株)DDには、今その選曲をやってのける「誰か」がいるのだ、と感動したこと、それでもその日をとおして、自分にいちばん刺さった演目は、「Shadow Kiss」で「あなたが望むなら地獄だっていい」だったこと、は、

2023年12月8日に向かう日々の中で、個人的にとても意義深く、何度も立ち返ることになったできごとだった。

この話です)

 

 

私は多分、「臆病だけど楽観的」というちょっと面倒な性格で、

最終的に口にするのが「大丈夫」であることは、どんな事態でもさほど揺るがない(ようにしたいと決めている)んだけれど、

それを可能にするために、「大丈夫じゃない」ことにノーガードでぶち当たることを極力避けるようにしている。

だから、たとえば勝負事をリアルタイムで見るのがすごく苦手で、つい結果を先に見てしまうし、小説はこの章があと何ページで終わるかわざわざ確認しにいってしまったりする。もしかしたらセトリのネタバレを積極的に踏みに行くのも近い心理なのかもしれない。

 

 

どうあっても「大丈夫」って言うって決めていた。それは強がりというよりも、DDPを経て、あぁ自分はそうなのだ、と腑に落ちた単純な事実だった。

そしてそれは、肉フェスやロクブンノキュウで強く裏付けされ、だから、「以降」のことはさほど怖くなかった。もしかしたら、「その日」のことも。

それよりも、そこに至る、一歩一歩でしか進まない日々が怖かった。

焦れるようで、それでも日々が終わってしまうこと、「9人」の期間が減っていくことはたまらなく嫌で、だからせめて、少しでも先が見たかった。言い訳めいているけれど、多分本当に、薄情さではなくて臆病さだった、と思う。

 

 

そんな日々の果てに辿り着いた横浜アリーナは、

そうですね、まず何と言っても駅から近くて行きやすかった。新幹線駅からずっと案内が出ていて、近くまできたら、もう案内がなくてもわかるサイズでそびえ立っていて、ああここはそういう場所なのだ、と思った。

物販やお取引をスムーズに終えて、来てくれた友人にキンブレを渡して(長期的な判断でもう買ってプレゼントしました。今後ともよろしく)、早めに席につく。座席はセンター席の後ろの方で、メインステージは少し遠いけど、センターステージとバックステージがほど近い、ワクワクする位置だった。

 

OPA、私は理屈では「やらない理由がない」と思ってるし、感情では「わ~いいろんなグループが見られてお得~~」と思っている。ので、あんまり誰かと何かを共有できる気がしていない、そういう人間の言うことではあるのですが、

DDのアイドルってすごいね。いやぶっちゃけあまり「他」を知らないという自覚はあるので、身びいきだと言ったらそれまでなんだけど。

トップバッターからみんな、横浜アリーナに立てば横浜アリーナのパフォーマンスができるんだすごい、と素直に思いました。めっちゃ元気よくペンラを振ったよ。最後ちょこぼの歌うますぎて笑ってしまったし何なら近くの席の人も笑ってた。スタオベ。

 

 

パンダドラゴンが演る曲は、当然「パLIFE!パLIKE!パLOUGH!パLOVE!」だと思っていた。OPAなんて、この公演がたとえば何かに取り上げられたときに、そこに書いてあってほしい曲名、の曲を演るべきに決まってる。

前からいたファンはバズった曲のこと別に好きではないみたいな風潮ってあると思うんですが(突然の偏見)、パラパラ、大好きです。とても元気でエネルギッシュで、でも決して順風満帆を歌う曲ではないんですよね。「悔しくて悲しくてやるせなくて眠れなくてくじけそうになって」も、「大丈夫」と、繰り返してくれる曲なところがすごく好き。歌詞や音からたまに滲む切なさと優しさが、私の思うパンダドラゴンで、初めて聴いたときからずっと泣き曲。

「僕らはこれが好き みんなは何が好き?」でいつも感極まるし、「Tell me」に応えられる世界線に、私達の「大好き」を叫べる世の中に、辿り着けたことがとても嬉しい。

横アリではなんて叫ぼうか、始まる前からすごく迷っていました。迷いすぎて、MeseMoa.って言っていいよって最初に言われるかな、言ってほしいな、まで思ってた。他力本願でごめん。

本番のその場では、実際、いろんな声が聞こえた気がした。多分。渦みたいに。そういう顔ぶれが集まった空間だった。心地よかった。

 

 

 

 

そうして、「推しの名前を叫べ!」のテロップで、今度は一切の迷いなく声を上げたあと、いよいよ本編が始まって。

 

……MeseMoa.は、私の弱さに反して、

横浜アリーナ公演の本当の最後の最後まで、きっちり9人だった。誠実に。

そうして、ちょっとびっくりするくらい、私の知っている、普段のMeseMoa.のままだった。

 

「前よりもっともっと君が近くに見える」なんてことが、本当にあるのかもしれない、と最初に思ったのは、2023年の野崎さんの聖誕祭で「オペラグラス」を聞いたときだった。踊ってみた演目の「ダブルラリアット」も相まって、その日以来、自分の中のキーワードは、「そばにいる」になった。

そこから「ロクブンノキュウ」を通じて、キーワードには「愛」が加わって、

「イルミラクル」で、「名前を呼ぶ」ことを改めて大切に思って、

その全部が、贅沢に詰まった時間でした。

あれだけ大きな会場で、名曲たちを素晴らしくパフォーマンスして、卒業セレモニーを華々しくやりきって、笑わせてくれて泣かせてくれて、そのうえで最後「近くに感じた」って感想で帰らせてくれた、の、すごかった。ああこれがMeseMoa.だなぁと思った。

 

演目中のことは書いたらきりがない。大きなステージでカメラに抜かれる野崎さん、いつも尋常じゃなくかっこよくて、抜いちゃうよねわかるわかる~~~となって大好き。バックステージから響き渡った「この先36号線」も、センターステージでやりたい放題だった「Love!×2 Chu!×2 Yeah!!×3」も最高だった。今もうこの場所全部あなたのものだよ!!!って心のなかでずっと叫んでた。

これはやるでしょう、ってずっと楽しみにしていた(イルミラクルの行けない公演での披露になることに心底怯えていた)「Cameleon Color」。やるっきゃないっしょ、と思ってはいたけど、でも曲数の限界がある中で、見られてとても嬉しかったです。鮮やかだった。人生は薔薇色。

 

 

あとはそう、「ヨーソロー!」のこと。

「ヨーソロー!」は私の2023年DD楽曲大賞受賞曲です。タイトルも歌詞も歌割も、あのタイミングで世に出たことも、披露の時期によって、「あなた」や「君」、「ここ」が指すものが少しずつ変わっていくように聞こえることも、全部全部最高に大好き。

船の言葉だとは知ってたけれど、意味を正確にはわかっていなくて、リリース当時調べてちょっと泣いてしまった。

ようそろは、航海用語で船を直進させることを意味する操舵号令である。転舵(または転舵命令)のあと、今向いている方向でよしというときに発することが多い。

ようそろ - Wikipedia

 

転舵のあとに、「今向いている方向でよし」と直進を促す、こんな言葉が世の中にあるんですね。あまりに美しかった。

 

MeseMoa.の船出を歌うなら、もう少しあとのリリースでも良かったのかもしれない。でもそうでない以上、これはきっと「それぞれの」船出の歌なのだろうと思った。

見たことない景色を見に行くのも、手に入る保証なんかない幸せを追いかける「無謀な僕ら」も、きっと5人ばかりではない。ので。

そう、だから生き急いでいる私は、横アリでは、5人と4人で別のほうに捌けるみたいな演出をするものだと本気で思っていた。

……本気で思っていたから、「イルミラクル」のアンコールの「ヨーソロー!」を、狐につままれたみたいな気持ちでいつも見ていた。

「そのための曲」なのに、どうして、

海を割るように、旗を掲げて出てくる白服さんはどうしてこんなに力強いのだろうと。

 

 

多分あんまり言ったことがないけれど、白服さんって何者なんだろうって、ずっと畏れに近く思っていました。

白服さんの、カリスマ性と人間臭さが同居してるところ、笑えるくらい理系なところ、ステージで、特に節目の公演で尋常じゃなく神性を帯びるところ、あとビジュアルを完璧に仕上げてくるところ、好きでした。

家で聞いた幕張の挨拶。私がいちばん感動したのは、「すべての決断に"感謝"申し上げます」でした。誰のどんな決断もあり得たあの時期に、たとえばどれかに感謝すること、あるいはすべてを「肯定」とか「尊重」することって、言ってしまえば誰でもできる、それに意味があるかはともかく、私にもできたことで、

でも、「すべての決断に」「感謝」できる立場の人は、ものすごく限られていた、と思うし、

それを言葉にできた人を、私は白服さんしか知らなかったです。

 

 

「初代リーダー」も、すごいな、って思いました。言葉ってすごい。これはただの――ただの、って言ったら怒られるかもしれないけれど、でもただの――代替わりなんだ、ってまんまと思っちゃった。

9人の「ヨーソロー!」、とてもよかった。最後の最後まで、大きくて力強い船にいたこと、先頭で風を受けていた人のこと、多分忘れられないと思う。

ありがとうございました。

 

 

横浜アリーナは、さすがにとても、武道館よりも、広くて大きくて。

でも、背伸びの場所だとは、全然思わなかった。

……まあいいやすごく正直に書きますね。MeseMoa.にとってだし、(株)DDにとって。

広い会場でのステージの組み方や曲のつなぎ方、幕間の楽しませ方、もっと言えばチケットの売り方や後輩グループの出し方、発表のタイミングに至るまで、武道館を経て――すごいな、武道館って「経られる」んですね――ノウハウっていうと身も蓋もないけれど、でも確実に蓄積されているな、と感じて感動しました。

めちゃくちゃ気軽に書くけど、またできるなって思っちゃった。楽しかった。

※私が最近「会社」に思いを馳せがちな理由のひとつは、家事のお供に聞いてる「ねこそぎインベーダー」です多分。おふたりとも人前にも立つ人だからめちゃくちゃ話がおもしろいし、それでいて会話の職人感と、そしてすみませんサラリーマン感がとても好き。隙あらば人に勧めてるけど、横アリ前の、#064 『お前の人生半分カニってまじ???』 の回、絵しりとりのくだりからの直近の進捗のところ好きすぎてもう5回くらい聞いてる。感謝しかない。4:44~くらいから。

 

 

……横アリが終わって。「以降」の日々が来て。

あらかじめ予想していた通り、結構元気にはしていたのだけれど。

パンダドラゴンのCDTV出演の発表や、静岡公演があった自分にとってさえ、

23日間が、すごく、すごく長くて。

「ヨーソロー!」と、カウコンのチケットが今手元にあってよかったな、と心底思った。

 

 

単独のカウコンをやると聞いたのは、確か10月の半ばで。

正直言って予想外だった。カウコンはやるならDDPかなと思っていたし、他のグループの予定を見るとなんとなくその道はなさそうで、じゃあ年明けにどこかのライブハウスで姿が見られるかもな、先に特典会かな、と、勝手に心の準備をしていた。

それが単独のカウコン。ホール。しかも2部制。

走り続けてくれることへの感謝とか少しの心配とか、「続いていく」とはどういうことなのかとか、やばい今年家にいるって言っちゃってたっけどうだったっけとか、いろんなことを小一時間くらい考えて、

まーーーいいやどうせ私の舐めた予想は総じて当たらん楽しみ、と思いながら宿を取って、新幹線を取って、当日ウキウキと向かった。久々の握手会楽しかったです。ここで「手を繋い」でくれるの、なんというか粋ですよね。暮れの元気なご挨拶ができてよかった。

 

 

ライブは、「こんなカウコンだったらいいな」を、何万倍にもして叶えてくれたセトリでパフォーマンスだった。1部からずっと。

多分、自分にしては過去一想像したセトリがかなった日だった。セトリが当たるのは嬉しい。要は、「おんなじ気持ち」だってことだから。

1部の1曲めが「Rabbit Jump!!」で始まったこと、「2023年やり残したこと」で連想したものがあの日の大阪だったこと。ここで懐かしのタイムトラベルボタンくんを出してくる企画力痺れました。「シザーハンズ」が流れたときにもう倍お金払いたいと思ったし、ぷんちゃんが落ちた花を拾って口づけた瞬間さらに倍出す気持ちになった。最高だった。

 

ロクブンノキュウの日々は、どう考えても2023年の私の背骨で、

だから、大阪ファイナルがああいうなくなり方をしたことには、結構落ち込んだ。

正確には、これ落ち込もうと思えばどこまででも落ち込めてしまうやつだな、と察して、心の未処理ボックスに置いておいていた。

だからやっぱり長生きしか勝たんなって思いました。生きていれば、回収ができる。

 

余談だけど、JUNONのインタビュー記事でフォーゲルさんが言っていたこと、すごくよくわかる、わかるんだけどでも違うよって思う。あの期間は多分、「絶対に仮の形だったこと」が価値のひとつで、それも含めて、いていただけて本当によかったって思ってます。今も強く。

あの6人だったこと、推しの活躍、それをライブハウスで浴びたこと全部最高で、それでも自分が受け取ったいちばんの核は、「何が起きても」だった、ので、

期間限定だったあの日々と、「続いていく」今とは、きっと出力の仕方はおんなじにはならないんだけれど、

それでも、魂の熱さは一緒なんだと、この人たちは、「無理はちょっとしてでも 花に水はあげたいわ」ってまた言ってくれるんだと、それが素直に嬉しかったです。本当に何度でも言ってくれるんだもん。「私は最強」「アナタと最強」。好き。

 

 

2部。

もしかしたら、活動歴10年アッパーの老舗アイドルなら、2時間のライブを「乗り切る」形にすることは、さほど苦なくできたのかもしれなかった。それこそ映像とか、企画やったりとかさ。

でもきっとそうしないって知ってた、し、そのとおりだった。やりたいこと伝えたいことありきで作って体を合わせたセトリだったところが、すごくすごくかっこよかった。

 

サクラサクラブ」の「愛してる」で始まって、「Flower Wind」の「愛してる」で終わった本編。こんなの自惚れじゃなく相思相愛じゃないですか。幸せ。「New Sunshine」はきっとやってくれると信じていたし、やっぱりいつ聞いても楽しくて、ちゃんと背筋の伸びる曲だなって思った。

そして正直に言うけど今のところいちばんリピートしてるのは「アラビアンラプソディー」です超よかった。いつもの振りもだけど、あれジャンルとしてはジャケットプレイであってるのかな、水を得た魚すぎ。

「俺だよ!!!!!!」に笑ったソロ回し、私は大晦日に聞く「この先36号線」が大好きです。「どうせまた気がつけば今日が終わってしまうんだろうな」に抗う日だと思ってる。とみたんの「君と見た景色の先に」も良かった~~壮大だった。タイトル、これ別に「景色」で終わっても用は足りるのに、「の先に」まであるところが好きです。目線が上向く歌。

そこからの「Mercury Eyes」も「LOVE YOU BABY」も選曲が天才ですごかった超テンション上がった。私あおいくんのフェイクの入れ方すごくツボみたい。

そしてやっぱりどう考えても2023年を語る1曲として「FIRE NOXO」は外せない。あの演目の見所はバックダンサーを率いて踊るノックソさんであり、そしてバックダンサーが立ち去る中でも堂々と踊り続けるノックソさんである、と思っていて、横アリもその披露だったから、カウコンで初めてずっとひとりなのかな、と思ってたら客席降臨曲になっていていろんな意味で超沸きました。愛に溢れてる。

 

あとそうだ「楽観烈破」よかった! ぷんちゃんが言ってた、「こういう歌詞をこのタイミングで聞いてもらえたらいいな」の中にこの曲が入ってくるのすごく嬉しかった。自分にとってはずっと野崎さんの「いつか取んぞ頂上」を聞くための曲だったけど、この日他の歌詞がすごく沁みました。「楽観的にいきましょか」。そうだね。

 

 

 

 

「平成パラダイムチェンジ」のイントロが始まったとき、

そのときの感情は、多分「安心」だった。

これを聴きに来たと言っても過言ではなかった。

奈良で聴く気だったの、これもまた生き急ぎでしたすみません。でもそれだけ前のめりに楽しみだった。

パラチェン、発売当時は、これ新曲じゃなくなった後どんなときにやるんだろう、と若干思ってた曲だったんだけれど、冒頭のカバーも含め、「今これを聴けて嬉しい」って披露が何度もあって、5年でどんどん好きになりました。

推しの歌割になった途端気づくの我ながら単純なんだけど、「未来なんて見えないからこそ歩き出せる」って歌詞、すごくすごくいいですね。本当にそうだと思う。

そのあとの、これも旗持って待ってた「ヨーソロー!」の、「確かな手がかりなんてなにもなくていい わからないからこそ行くんだ」も相まって、すごく眩しいアンコールでした。

 

 

 

一歩一歩でしか進まない日々が怖かった。

でも、実はどんなときでも、日々なんて一歩一歩でしか進まないのだ。当たり前も永遠もない。確かな手がかりも、手に入る保証もない、発表されてる予定以上の「未来」を自分は知らない。

だから、「もしもリセットボタン押して人生やり直したって結局君とまたここにいるだろうな」の「ここ」は、

「アイドルという職業を選んだこと」とかでもいい、いいんだけど、

でももし叶うならいつだって、「続いていく」日々の中、披露のその瞬間の「今ここ」であってほしいって、勝手だけど、そう思ってる。

 

 

 

ぷんちゃんの船。楽しくて綺麗でした。この先もすごく楽しみ。「推しが所属するグループのリーダーが気まぐれプリンスである」って、素直にめちゃくちゃハッピーでラッキーだと思う。自慢して回りたい。

フォロワーさんに水色推しの方が多いこともあって、私は、ぷんちゃんと水色推しの方の関係がとても好きです。時間が合うときに、もしくはTLでの盛り上がりを察知して聞きにいくおやすみラジオ。「みんながいてくれたから」と繰り返される言葉に、横から励まされたことは一度や二度じゃなかった。

 


だからどうかそのままで、と思ってます。すごく個人的な意見だけど、これからも、自分のこと好きな人をいちばん大切にしたまま、自分のセンスを手放さないまま、しなやかなリーダーであってほしい。

全体のことはさ、きっと支えてくれる人がいるよ。

 

 

カウコン物販で買った野崎さんの2L、いつもお会計の途中でもう口元が緩んでしまうんだけど、今回格別でした。惚れ惚れした。

キャスで、ブログで、ラジオのゲスト出演で、横アリからカウコンまでの期間にさらに好きにさせてもらったことにもつながるんだけれど、このひとの、一律のメッセージで個人を幸せにできるところ、最高にアイドルだなと思います。大好き。

 

 


発表されてる予定以上の「未来」を、自分は知らないし、

「あなたが望むなら地獄だっていい」、それはそう。多分、ずっとそこに立ち返る。

それでも。ひとまず地球は終わらなかったので。

告知映像のスクショと、しごできリーダーがまとめてくれたフリラの予定と、Googleカレンダーを代わる代わる見てる。

 


さーーーいろんな申込みしよっと。楽しみ!

 


今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

2023年12月2日のこと(横アリ公演前最後の特典会のあとパンダドラゴンを見に京都に行った話)

なんて身も蓋もないタイトル。

 

横アリ前の慰みにも、豊洲PITの販促にもいまいちなりきらないだろう、文字通り日記です。

「おもちゃばこ」ツアーセトリのネタバレを含みます。

 


---

パンダドラゴンライブハウスツアー「おもちゃばこ」京都公演2部に行くかどうかは、チケットを取ってからも少し迷っていた。

横アリ6日前、東京ではMeseMoa.現体制最後の特典会を開催中、という、オタクとしてやるべきことには事欠かない日取りに、静岡→東京→京都→静岡、なんて現場回し(「回す」っていうか)をするのかどうか。

 


それでも結局、行くことを選んだのは、

単純にそういうのが楽しい性格とか

サマパラファイナルに行きそびれたことへの負い目とか

パラゴン現場でなくては会えない人が、軒並み集結していそうな気配とか

(結局自分のスケジュール繰りがシビアすぎて全然会えなかった。また会いましょうね)

昔京都に住んでいて、今静岡に根づいた自分が、静岡出身の推しが京都でライブをするのを見に行く、というシチュエーションに惹かれたこととか

今回チケ発が本当に激戦で、京都2部のチケットを手放すなんてとんでもない、という打算とか

激戦ゆえ静岡2部のチケットを12/4現在持っていなくて、京都に行かないと追加公演しか見る機会がなさそうだったこととか

オン特で、静岡のチケットを持っていないことに触れたら、「とりこさんにも見てほしい」と、さらっと言ってくれたこと、とか

そういうものの合わせ技一本だった。

 

 

 

……いやでも、これだけ意味を見出してるライブの天秤の片側に、あと数分取れるかどうか、の特典会が乗ることがすごい、という話な気もする。それだけつまり、今年の私は野崎弁当のオタクでした。

 

 

 

朝。気温から色からあらゆる面で着る服に迷いながら、ひとまず東京をめざす。乗った新幹線はめちゃくちゃに混んでいた。通路もデッキもぎゅうぎゅうになるくらい。

みんな旅に出る理由がある。素敵なことだと思う。最近情緒があれすぎて、すぐ人類愛にいってしまう。

 


いつもとは違う会場に、少し迷いながら着いて。

珍しく言いたいことをちゃんと用意して臨んだけど、手紙に落とすことはできてなくて、スマホのメモをチラ見しながら、でもできるだけ目を見て言って。

……この人の、不意を突かれたように、安心したように漏らす「あぁ、」が好きだなと思った。

多分、私の推し方と、あと当時時点の比較の(比較の)結果だと思うんだけど、友人に、野崎さんのことを「言葉でコミュニケーションを取れる推し」と言ってもらったことがあって。

ここ最近とみにそれを感じる。嬉しかった。言葉以外のものも含めて、伝わったな、届いたな、返してもらったな、そこに至る日々がちゃんとあったな、と思える時間だった。通信とは通じたと信じること。

泣く予定なんてなかったのに、帰り道幸せで泣いてしまった。私の接触短歌を思い出した。

きれいごとばかりの道へたどりつく私でいいと思ってしまう(笹井宏之)

そう思う。いつもいつも、透き通るみたいな気持ちになる。大好き。

 

 

 


分刻みで動かねばならないのに、浮ついた気持ちで歩いてるから、迷いまくって全然駅に行き着かなくて。

……こんなにめろめろの体で京都に行くんだから、人間って業が深いなと思った。

 

 

 

 

新幹線に乗って京都をめざす。

若い頃に住んでいた京都という街は、街も自然もあって、便利で過ごしやすく、多くの物語や随筆にあるように、厭世的で、気位が高くて、時の流れがゆっくりで、

その分、土地を離れた人には厳しい、というか、あっという間に、「私の街」ではなくなってしまう場所だった。

 

 

 

……パンダドラゴンの最近の活躍は、TLを追っているだけでも十分わかって。

「パLIFE!パLIKE!パLOUGH!パLOVE!」のヒット。それが「仕掛けてうまくいった」ものであること。ファンの、界隈の外の人の動画がどんどん上がるようになった今でも、自分たちで動画を上げる手を止めないところが好き。活動に比例して増えていく、リプライの数、フリーライブの後に上がる写真の観客の数、配信の同時視聴者数。

この1年、それらのなかの「1」に、なったりならなかったりした自分のこと。

 


もう私のものではなくなってしまった街に、もう私の推し、と呼ぶべきではないかもしれないグループを見に行くことには、意味がある気がした。

 

 

 

 


会場の最寄り駅についたときにはすっかり黄昏時で、

知った顔も知らない顔も全然わからないこと、は、どちらかというと救いだった。

半分より少し後ろくらい、と思っていた整番で入ったら、もう会場はぎゅうぎゅうで、わーこれ入るのかな、となりながら、アナウンスを受けてじりじり前に進む。

今回のツアーでは、「おもちゃばこ」を使った抽選を多用していること、今日の推しの衣装、セットリスト抽選結果のアルファベット、それぞれのブロックに含まれている曲、は、公式Xと、あと心優しい方々のネタバレで知っていた。

だから開始前時点で、個人的にだいぶ好きな衣装で、好きなセトリであることはわかっていた。

わかっていたつもり、だったのだけれど。

……実際に見て、曲を聴いて。今ここで、こんなに寄り添ってもらえるのか、ってびっくりした。

衣装もセットリストも、なんならMCの話題も、何もかもが、私みたいなものーー推しのいるグループの、現体制最後かつ史上最大規模の横アリ公演を控えながら、懐古気味にパラゴン緑推しをしているやつーーに優しいライブでした。

きっといろんな理由から、全曲フルで、ショート尺にしていなかったこと(多分)もとても好みだった。

 


ツアーが発表されたとき、「おもちゃばこ」と冠されたこの日々は、何のためにあるのだろう、とか考えていたことがあって。

いやまあ、「何のため」というと大げさなんだけど。パシフィコ横浜を目標に据えて、どんどん新しいお客さんを獲得している最中の、完売続出で追加公演を出すことになるライブハウスツアーは、パンダドラゴン史においてどういう位置づけになるのか。

実際に足を運んだら、あづくんの「最近やっていない曲も多くて、こんな曲あったんだ、って、また好きな曲が見つかるツアーだと思う」ってMCと、公式ちゃんの「結成当初から応援していただいてる方はもちろん最近知っていただいた方にも楽しんでいただける様なライブ」というポストで、なんだか都合よく腑に落ちてしまった。

 

 

 

おもちゃばこをひっくり返すと。

次から次へと楽しいものが出てきてワクワクする気持ちになるし。

昔よく遊んだおもちゃが、箱の底から転がり出てきて、懐かしいねこんなの持ってたね、よく遊んだな、大好きだったな、という気持ちにもなる。

後者の楽しみ方をゆるしてもらったんだと思いました。

MARCH衣装。惜しまないフルの愛情を示すことくらいできる。明日も明後日も。たとえステージにマイク置く日が来ようとも。時間は後戻りしない。学力テスト。醒めない夢だと信じてた二人は色褪せない。明日ハ晴レ、七色のアーチ。大切で大切でこれから続いてく未来を見てる。涙を拭いてまた会えるね。だれもが青春と呼ぶなら好きにさせてよ。

 

アイドルの卒業、というものに立ち会ったことがなかった私に、そういうことが起こりうること、それでもグループは進んでいく、ということを教えてくれたのは、パンダドラゴンでしたね。

 

 

 

抽選ブロックの引きの強さに感謝しつつ、でも自分が泣いたのは固定枠の「Hop Step xxx」だったこととか、実はあんまりピンときていなかった「Crack」が、生で聴いたらめちゃくちゃかっこよくてハマっちゃったこととか、

いくらでも書けるんだけど、これだけ切り出して書いておきますね。「Sweet Strange Parade」。

特典会で「SSP大好き。私のTLみんなSSPの話してて……」と言ったら、

「いやーわかるよ、とりこさんがああいう曲好きなのもわかるし、とりこさんやとりこさんのTLにいがちな皆さんが好きな曲は、ライブの定番曲にはならないことも俺はわかっている」と言われて笑ってしまったあのSSP

「おもちゃばこ」というツアー名を聞いたとき、ははーんつまり「列をはみ出すオモチャたち」のSSPがリード曲だな最高、と思ってたんだけど普通に抽選ブロック曲でした。私の「ははーん」の正答率の低さよ。よかったよある回に行けて。

そのSSPのあづくんがすごくよかったです。あぁ、そうしたんだ、と思った。素晴らしい異分子だった。「このままで踊って」の歌い方と表情、すごく解釈一致でした。あの歌詞は、あそこでは呪いですよね。

 


あづくんのパフォーマンスの好きなところはたくさんあるんだけれど、

多分いちばんは、ステージの近さ遠さに関わらず、あ、今同じ顔をしている、と思える瞬間があること。

自分が泣きそうな顔をしているとき、この人も泣きそうな顔をしているな、と思うこと。

感情が届いた気がして、すごく好きです。通信とは通じたと信じること。

 

 

 

 

京都に行く前から、特典会では横アリの話もすると決めていた。勝手な話だけど、「戻って」終わりたかった。

とはいえどう切り出してどう結ぶか迷って、結局席を立った最後に、

「横アリ楽しみにしてる。よろしく」

って言い捨てて去ってきた。

先輩のオタクってほんと厄介ですね。よろしくね。頼んだからね。

パンダドラゴンと一緒に、MeseMoa.横浜アリーナ公演を迎えられること、同じ会場にいてくれること、とても心強いね。

 

 


帰り道は、

退屈をかくも素直に愛しゐし日々は還らず さよなら京都(栗木京子)

という、京都で若い時分を過ごした人間には刺さりまくる短歌を思い出しながら、緑色の缶した京都麦酒をお供に帰った。

いい1日でした。

 

 

今の私は図太い大人なので。

もう私のものではなくなってしまった街に、素知らぬ顔でまた来ることができるし、

年々早くなる時の流れに怯えながら、変わりゆくものを愛してる。

 

 

…………とかなんとか書いてたらドラマ出演(え??????)のニュースが飛び込んで来て全然しんみり終われなくなってしまった。すごいねパンダドラゴン!!!!!!

 

 

とにもかくにもさよなら京都。人生は続くので、また来ますきっと。

その前に、まずは横浜で会いましょう。

 

 

2023年8月26・27日のこと(イルミラクル御殿場公演雑感)

 

正直に言って、自分がイルミラクルのブログを書くとは思っていなかった。

 

 

ここでいう「自分」とは、グループに残るメンバーを推していて、結構な単推しで、だから自分のことを「イルミィ」だと自称することはほぼなくて*1、実はまだ全然ロクブンノキュウツアーを噛み締めていて、先のことはそのときに考えてほしいなってキャスで推しが言っていたにも関わらず、この後5人体制の最初の1曲めはなんだろう、みたいな、絶対に今考えなくていいことに手を出してしまうタイプの人間のこと、である。

(ここまで読んだ時点でもう全然相容れない方がいてもおかしくないと思うので注意喚起を兼ねた自己紹介です。あと多分、この先演出やセトリを察せられるような表現が無遠慮に出てくると思います)

 

 

しばらくは、「自分の番」ではないのだと思ってた。

この先起こることと、そのためにやるべきことは明確なのだから、

やるべきことはなされたほうがよく、

それに自分が乗れようが乗れまいが、どっちでもいいなと思っていた。

どっちでもいい。でも見よう、見たい、と思った。ちゃんと。この立場で、できるだけ。

 

 

 

だから、イルミラクルの個人的初日、御殿場公演の1日目を、「いいライブ!」と心から思えたことが素直に嬉しかった。

2階席だったこともあって、ちゃんとエネルギーをキャッチできるだろうか、まで実は考えていたんだけれど、全然杞憂で。

冒頭の光の演出、高いところから見られてよかったです。すごくすごく綺麗だった。次は僕たちが、って言われてペンライトをつけるのすごくときめいた。いきなり泣いてしまった。

音圧も熱量も力強くて、気持ちって届くんだなあ、とばかみたいに思った。まあでもそれはそうだ。武道館を埋めて、今度横浜アリーナに立つ人たちなんだから。いつだって私の見通しは甘くって、毎回驚いてしまう。こんなに、って。

 

相変わらず、でも今回とりわけ特に、意図のない曲がひとつもないなって痛感する美しいセットリストで、

綺麗で尊くて、ああ私間違ってなかった、できるだけちゃんと、の姿勢で立ち会えてよかった、こうやって12月を迎えよう、そう思って帰って*2

 

 

2日目。前日夜の寝不足とか、当日朝からの長い1日を溜め込んだ果てに、またも2階席に座って、翌日の仕事をもうこっそりと憂い始めながら開始を待って、

……そこから、1日目の綺麗にまとまった感想を吹き飛ばすくらい、なんだかめちゃくちゃ楽しかった。

 

 

実は原因があまりわかっていなくて、単純にセトリが体に入ったせいかもしれないし、2days公演というのはそういうものなのかもしれない。珍しく昼からずっと友人と行動できてあったまっていたし、FFさんとたまたま連番で、開演前にいろいろ話せたのもよかった。む。時代を知らない私でもさすがにわ気愛はめちゃくちゃ沸いたし、2日とも座席は大差ない、とはいえ多少の列の差、上手側下手側の差も要因としてはあるだろうし、あとそうだすーーーごい現金な話をすると、実は初日はライブからだったけど2日目は特典会チケットを持っていたので、推しと話してからライブを見られて、えっこの話まさかやっぱメロメロタイムだな~!という結論に落ち着くんですか嘘でしょ。あの、原因は本当に一意に特定できないのですが、

いつだって私の見通しは甘くって、それが嬉しくて、8月末時点の気持ちを覚えておこうと思って、言葉を書いている。

 

*3

 

 

 

空を見上げるとか、アイドルを星に喩えるとかって多分普遍的なモチーフで、

その壮大さとか、煌めきとか、

手の届かなさとか、

時に道標になること、

もっと時には、夜空に実は数多あること、

光が目に届くまでの間に、どうしたって時差があること、

それは、「推し」というものを喩えるにはとても適している、と思う。

 

 

それでも……違うな、だからこそ、

10年がむしゃらに、誠実に活動を積み上げると、

虹がかかるのも、空に咲く朝陽があるのも、あの日と同じように眺めるのも、

ポラリスがあるのも、オーロラが輝くのも、おっきな星座を結んだのも、

パッと思いつくだけでも全然書ききれない様々が、

全部同じ空なのだ、という世界が生まれたりする。

 

 

そういうのが奇跡ってことでいいんだと思う。

 

 

 

 

いいライブでした本当に。つまりは「最新が最高」で、帰りの電車で読んで笑っちゃった。預言者みたいでした。お見通されてるなと都合よく思った。

 

 

あの日以来、「今日」と「その日」は多少わかりやすくて、でもその間がどう埋まっていくのかは当たり前だけどわからなくて、

見えてるところに早く着きたいのも、今日が終わるのが嫌なのも、きっと根本は一緒なんですよね。

でもそれでも、一歩一歩でしか進めないのだから、一歩一歩進むしかないのだから。

私なりにできるだけ、「Go Ahead!」って言われにいこうと思います。

推し贔屓全開で言うけど、あの歌割は野崎さんしかないよ。その胆力が私は好きです。

 

 

ひとつのセットリストみたいなこの日々のその先で

「長い道のりを歩んできたね」って、いつか言いましょうね。

 

*1:「ハピハピバスデ」を聴くときは全力で「イルミィちゃん」だと思うことにしてる

*2:ライブ終了から帰宅までの間に4時間くらいのサシ飲みが挟まりますがここでは割愛します

*3:このポスト前後で当然「キラッ☆」の歌詞調べにいったんだけどリリースが15年前でしんでしまいました。しかし困るくらい的確ですごくよかった。「悲劇だってかまわないあなたと生きたい」。

2023年3月14日のこと(MeseMoa.日本武道館公演雑感)

 

全世界に向けたすごく個人的な記録です。

 

 

 

ひところずっと、人目を忍んだり忍ばなかったりしながら、私の推しの作詞曲であるReLITの「ジャンプ!!」の話をしていた。
「ジャンプ!!」の話というのはつまり、ひとはアイドルにどう在ってほしいのか、私達はどんな物語に魅せられたいのか、という話だった。少なくとも私と、この話に付き合ってくれた友人にとっては。多分。

 

 

細切れに、結構長らくその話をしていた。

でも、何かひとつ共通の結論にたどり着いたかというとまったくそんなことはなくて、お互い自分のしたい話をしただけだった。通常運転ですね。知ってた。でも多分、過去一に近いくらい、この話がいちばん分かち合えなかった、と思う。

 


私が、「このアイコンで言うの我田引水っぽくて嫌なんだけれど、あれとかこれとかから、め。のモチーフって今『鳥』なのだと思っていて」と言ったら、

彼女は、「言いたいことはわかったが、自分にはそのイメージはない」(意訳)と言った。

「生まれつき飛ぶように出来ている生き物、ではない、と思ってしまう」と。

 


それはでもそうなんだろう、と思った。ここが摺りあわない、というか、起点が違う理由がどこにあるのかも、何となくわかった気がしていた*1


そうして、ふと「Rabbit Jump!!」の歌詞を思い出して、
「跳ぶ」と「飛ぶ」と「翔ぶ」の違いを調べて、いちばん上に出てきたサイトの説明を読んで、ちょっとどころではなく震えた。

chigai-allguide.com

 

とぶには「飛ぶ」と「跳ぶ」のほかに、「翔ぶ」という漢字もある。
翔ぶの意味は、空高く飛ぶ、大空を自由に飛びまわる。
飛行機や鳥ではなく、火の鳥などの空想上の動物が空高く飛ぶことや、自由に飛び回ること。また、そのようなものにたとえた比喩として使う言葉で、文学的な表現である。

 

 


「頂点を目指し跳ね続ける」生き物だったのが、羽を得て、後に伝説の生き物になる。

 

私が彼女に薦められて、連載の途中から読み始めたのは、確かにそういう物語なのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

ーー2023年3月14日。MeseMoa.日本武道館公演がありました。

twitcasting.tv

※配信チケットが2023年3月21日 21:00まで購入可能です。

 

グループ結成からは10年強。目標が示唆されてからは7年半弱、正式に宣言されてからは5年と10ヶ月。

いつ彼らを好きになったかによって、「武道館」というものの位置づけは全然異なるのだと思うのですが、

たとえば、4年前に沼に足を踏み入れた私にとってMeseMoa.は、

「『えっパシフィコ公演とかやるんだやばいな、1枚でも力になりたいな、てかなったほうがいいんだよね』とか思ってたら秒でチケットが売り切れて、舐めてました大変失礼しました、となったアイドル」だったので、

……もちろん、その後の期間を抜きにものは語れないけれど、

「武道館」を、突拍子もない話だと思ったことはなかった。それは自分にとって、「いつか来る未来」だった。

加えてもともとハロオタでもない自分は今回、事の重大さがちゃんとわかってるんだろうか、「10年の重み」みたいなものを、少しでも理解できているだろうか、とやや不安になりながら、それでもへらへらと、能天気なくらいに、2カ月半ぶりのライブがただただ楽しみでした。

 

 

でもそれ全然間違ってなかった。楽しかったほんとうに楽しかった。掛け値なしにただただ楽しいライブだった。

結構涙もろい自分が、本編中は一度も泣かなくて*2、ずっとワクワクしてた。

 


そうあれたのは、多分、推しがずっと楽しそうにしててくれたからなんだと思う。

私の推しは、野崎さんは、前々から話してくれてた通り、「たのしくね」を体現していて。

登場からずっと楽しそうで、笑みを隠せていなくて、

力強くて、隅々まで思いを届けようとしてくれてるのがすごく伝わってきて、

本当にそうだねって思いながら聞いた「Flower Wind」、センターステージでの堂々たる「New Sunshine」、見惚れてしまった「真逆の糸」、眩しかった「Shine on you」……だめだキリがないですね。

この人のためにペンライトを灯せることが、声を枯らせることが、本当に幸せだなと思った。

 

 

 

余談ですが、冒頭で触れた推しの作詞曲の「ジャンプ!!」は、「上ばかり見るのではなく、地面や足元を大事に思ってほしい」「初心を忘れないで欲しい」「自分を支えてくれるファンの方々を大事にしてほしい」という思いの散りばめられた曲で*3

その歌詞の中で、私は「手を取れ」がいちばん好きです。

「手を取れ」って聞くと自分は、たとえば崖から引き上げるときとか、連れ去って逃げるときとか、移動に余裕のある側が言うシーンを想像するんだけど。

でも、別に羽はないんですよね。何なら最後靴もない。余裕なんか全然ない。

 

それでも手を取らせるんだ、後輩が歌うために書いた曲だし、意識無意識はわからないけど、それがこのひとのアイドル観で覚悟なんだ、と勝手に思って。

その胆力に、怖いくらいゾクゾクする。だから好き。

 

 

 

 

 

 

アリーナからぐるりと見渡した武道館は、さすがにとても大きくて、

でも、釣り合わないとか、御しきれないとか、そういう感情は正直全然なくて。

その気持ちは、天井までのペンライトを見た瞬間にピークに達して、

すごく当たり前のこと言うけど、じゃあこの世にはまだまだ大きな会場があるのだなぁ、と思って。

 

 


ああなんだ、今日はてっぺんのその先を確かめにきたつもりだったけど、

てっぺんの先に待つのは「さらに険しい次の山々」なんだな。最初に書いてあったわ。2で出てた。いつだって、この期に及んでも、そうなんだな、

でも、

 

 

 

とかなんとか考えてたら、なんか「横浜アリーナ」って文字が見えて叫んでしまいました。超ロックで超よかった。

 


はちゃめちゃに楽しいライブをしながら、それでも、どうあっても物語になってしまうこの人たちが好きだ。

カウコンで「Poralis」を聞いて、あんなに好きだ好きだ言ってたくせに、いや好きなんだけど、「こんな歌割だったっけ」って思ってびっくりしたこと。

オタク語彙で申し訳ないけど、そのとき、ああもうこの人たちは伝説になることにしたんだ、と思った。

6月以来、「どうあってもこの物語を読み終えよう」だった気持ちが、このとき明確に「この話の続きが読みたい」に変わったのを覚えてる。嬉しかった。

 


そういえば幕張の「陽之鳥」を見たときは、私「大気圏に飛び込むみたいなパフォーマンス」って書いてたんだった。

跳べ!!飛べ!!翔べ!!の先に「銀河系クラシック」にたどり着くの、できすぎてて笑ってしまう。すごくいい曲でした。宇宙にも寝室にもいるみたいな。「続く銀河系の暮らし」。

 

 

 

 


……人は「どうあがいても跳び続けては、飛び続けては居られない」のかもしれないし。

そうしたら今度はどこに連れて行ってくれるんだろう、と楽しみに思う。走ってもいいし潜ってもいい。前も書いたけど、あなたが望むなら地獄だっていい。もちろんもう一度飛んだっていい。それが「縦横無尽の未来」なんだろうから。

でもとりあえずなんかもうしばらく、上を見上げる日々が続きそうだ。

 

 

 

2023年3月14日。

前回のブログで、

旅の帰り道は寂しいけど、でも、あたたかで幸せな時間だ。つまらないとは思わない。

そうやって帰りたい。1月1日も。1月15日も。3月14日も。きっと。

 

とか書いたときはさ、しっとりしんみり、寂しくもあたたかな気持ちで家に帰るのだろうと思ってたんですよ。

まさか横アリのキャパをググりながら帰ることになるなんて夢にも思わなかった。最高。

 

 

楽しかった。未来が綺麗だった。それ以上何があるだろうかと思った。

 

最高のライブをありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします!

*1:彼女のアイコンがピラルクだからではない。多分。

*2:最後の挨拶と、あとパンダドラゴンがOPAに名前Tシャツで現れてネオトラやったときに泣きました。すぐそういうことする。好きだよ。

*3:MeseMoa. 公式ブログ - ジャンプ!!した話(セルフライナーノーツ) - Powered by LINE

2022年のこと(会いに行く道、勝って帰る道)

 

年末なのでブログを書きましょうね。

 

2022年はいろんなことがあって。

結果このブログも当社比活発に動いたのですが。

どんな年だったかというと、「だいぶ新幹線に乗れた年」だったと思う。

 

私が住んでいる県は日本の真ん中で。

東にも西にも比較的行きやすい、という言い方もできるし、

結果この土地で何かが開催されることが少ないから、東か西には足を運ばねばならないことが多い、という言い方もできる。そういう場所である。

 

だから2年前ころ、県境がまるでウォール・マリアのようにそびえ立っていた期間は、結構辛かったんだけれど。今となっては、そりゃあ首都圏の便利さとは比べるべくもないけれど、結構ひょいっと新幹線に飛び乗れる、自分みたいな計画性のない人間にはそれなりに過ごしやすい県である、という側面が息を吹き返してきた。まあ、のぞみは止まらないんだけどさ。

 

いろんなテンションで新幹線に乗った。

ずいぶん前から計画して、どうか当日までになにも起きませんように、と祈るような気持ちでホームに向かった日もあるし。

行けるかも!行こう!と決めて、直前まで仕事をして、そのままパソコンをひっつかんで飛び乗って、ドアが閉まった瞬間「えっこれ上りと下り本当にあってるよな!?」と不安になって心臓が鳴り始める、みたいな日もあった。というか多い。しっかりしたい。

座った瞬間チェキかアクスタの写真を撮って、イヤホンをしてオタクモードになれる日もあれば、

新幹線を降りてから現場に向かう在来の中で、だめだ目が血走っている切り替えなきゃ、と我に返る日もある。いろいろだ。

 

そんな日々を、「ああ あと何回」と数えたことはなかった。

 

調整先の多い身の上であるのだし。要請で県から出られなくなったこともあるくらいなんだから、普通に想像しても良さそうなものなんだけれど。

自分でも不思議なくらい、「それは私が決めることだ」と強気に思い、「私が決めることなのであれば、大丈夫だ」と確信していた。

私の「決め」が、あの6月が過ぎてから、前回のブログを書くまでの間に格別揺らがなかったのは、ひとえに野崎弁当氏の底力と、パンダドラゴン6月静岡公演の美しさの余韻のおかげだと思う。感謝しています。

 

 

そう。私の応援しているアイドルたちは、今年、これまでの2年間を晴らすみたいに、全国を巡ってくれた。それは私が新幹線に乗った理由であり、乗らずに行けるライブがあった理由、でもあった。

いろんなグループがいろんな土地を巡る。

そんな中で、何度も「凱旋」という単語を目にしたし、

凱旋とは「勝って帰る」という意味だという話も、何回か聞いた。

 

あいどる道中という、長い長い旅路の中で、

「勝つ」とは何なのか、そしてそれ以上に「帰る」とは何なのか、

そんなことを思ったりもした。

 

それでも6月の、私が今年唯一新幹線に乗らずに行ったライブは、そういう言葉遊びみたいなものを全部ねじ伏せる力のある「凱旋」だった。晴れやかだった。すごくすごくよかった。

 

 

行く道があれば帰る道がある。行く。帰る。また行く。また帰って、ときには間が空いて、それでも再び旅に出る。

「どうせまた気がつけば」って、諦めと同時に祈りですよね。そうあってほしいという。ホメオスタシス

 

 

……「逃げ水」は。

私にとって、意味はわかるけれど、自ら使える言葉、ではなかった。受容語彙だが発信語彙ではない、ってやつですね。

だからあのフレーズを聞いたとき、自分とは違う景色の中で育った人だ、と思って。

史実でしか聞いたことのない日々を思って。

「飛行機に乗ってくれてありがとうございます」と思った。言った。伝わっただろうか。

 

何一つ当たり前ではないから、できるだけ追いかけたい。

それがたとえ月を欲しがるようなことだったとしても。

明日は明日の風の中を。飛ぼうと決めた。*1

 

 

「味わい尽くす」っていうのはさ、ものすごく単純に言いかえると、はらわたを残さないってことなんですよ。私の中では。

例えばこのブログを「北海道に行った」話にはできなかったことも含めて。私の皿なので。まだ下げないで大丈夫です。

 

 

私の「帰り道」は。

行きのテンション差に比べれば、似通ったところが多いと思う。たいていふわふわしていて、泣きそうなくらい愛おしくて、いろんなことを考えていて、全然オタクモードを解除できないまま家の近くの駅に着いてしまう。

旅の帰り道は寂しいけど、でも、あたたかで幸せな時間だ。つまらないとは思わない。

 

 

そうやって帰りたい。1月1日も。1月15日も。3月14日も。きっと。

 

 

……この記事本当は大阪に行く新幹線で書きたかったんだけど。自分の筆のスピードに自信がなくて今書いちゃった。

楽しい1年でした。愛に溢れた。今年縁あったもの、こと、ひと、みんな大好きだった。

 

来年もどうぞよろしくお願いします。

このみちをゆくよゆけばわかるさ。

 

 

※参考、というか、読みながら書いたもの。あとお友だちのブログいくつか。

歌詞 | この先36号線 by MeseMoa. | TuneCore Japan

MeseMoa. 公式ブログ - 国道36号線に向かう話(セルフライナーノーツ) - Powered by LINE

パンダドラゴン 公式ブログ - 生まれ育った街は変わっていく。 - Powered by LINE

THE YELLOW MONKEY バラ色の日々 歌詞 - 歌ネット

歌詞 | (超) あいどる道中膝栗毛 by パンダドラゴン | TuneCore Japan

 

*1:このブログのURLがjinseihabarairoなのは、もちろん「Chameleon Color」が好きだからであり、kimigawaraunogasukidattaへのリスペクトなんですが。
私が「人生は薔薇色」の歌詞を好きなのは、THE YELLOW MONKEY「バラ色の日々」が好きだから、だったりする。豆知識な。

2022/6/16~2022/8/27のこと(天辺のその先、このキスの行方)

このブログでそれについて触れなかったのは、まぁ、ぶっちゃけ自分(好きになって日が浅め、単推し気味、推しは活動を続ける)が何かを嘆くのは筋が薄いなと思っていたからで。
でも当然、「何事もなかったか」と言ったらそんなことはなかった。

 

虫の知らせ(でもないな、だって受け売りだ)で今年のスローガンにした「好きに生きよう2022」に忠実に、自分にしては頑張って平日に休みを取って福島に行った。でも2部しかチケットが取れなくて、朝イチの特典会でまた夜に!って伝えて、日中は少し仕事をして、合間に見たTLで1部に推しのソロがあったことを知って。
ああ~~;;;;となりながら、どこか冷静に、「珍しく遠征してきた自分のオタクが、自分がソロの方の回のチケットを持ってない、ってことを知るのは、まぁ少なくとも楽しいことではないよな。そういう類のこといっぱいあるんだろうな。決まってても言えないし、言ったとてどうできるわけでもないこと」と思った。それが2022/6/15のこと、だった。
(余談ですがこの日の2部とてもよかった。ライブハウスの距離で聞く「Majesta」と、そうですねあと「夜に駆ける」が。とても)

 


「私達は地獄を分かち合えない」と書いたあと、気取った書き方をしたけれど、その原因の一つは結構シンプルに「時差」だと思った。知らないことが多い。あとから知ることが多い。星の光が目に届くまでの時間みたいに。
それは悲しいほどに「そういうもの」だと思っているから、ごねるところは一切ないんだけれど。

重大発表とか、大切なお知らせとか、全然、そういうもの、なんだと思うんだけれど。

いつから決まってたんだろう、とか、待ってじゃああのときは?とか、被害妄想が多分にあるのはわかりつつ、楽しかったこれまでの日々を遡って足場が崩れていく感じには、どうしたって慣れない。

 

だからライブに行かなくてはと思った。

ライブは、ライブだけは、

一切の時差なく、光と音の速度で、

あなたの、あなたたちの届けたい楽しさを、幸せを、元気を、笑顔を、活力を、

分かち合えるものなんだと、そう思ってしまった。

 

 

夏。とは言え気の多い私にとっては、何をおいても行くしかない、と決めていたDDPがあった。

8/14大阪、そういえばあれ以来、対面やオンラインでの特典会はあったけれど、パフォーマンスを見るのはこの日が初めてだったんだった。そこに力点をおいて行かなかったのは、多分目当てが多すぎたせいだと思う。初めて会えた方とか、運を使い果たしたかもしれないと思った席番とか、司会とか、あと何よりこの日は「ソロの日」だった。

8/27埼玉、推しにも、多分似たテンションで、かつ多分私以上にDDPを楽しんでいる友人にも朝イチで会えてしまった結果、友人と久々に(?)じっくり話をした。いろいろな話をした。

その果てに2階席で見たDDPは、会場のおかげですごく見やすくて、

見えるものが多かった。

私実はオペラグラスうまく使えないんですよね。まぁキンブレと両立するのが下手、というのが大きいのですが、推しカメラするのに便利なのに、私の「見たいもの」は、視界を狭くするより広げたほうが増える、んだと思う。全体の中の推しが見たい。

 

OPA、毎度まだ会場が明るいうちからひっそりと涙していたし、

バンドサウンドに乗せられる「あなた」の響きのギャップが好きで、「あなたには笑って生きてほしい」にめちゃくちゃうなずいたし、

これDDPでやらなきゃ嘘でしょ、というくらい「Lit up!!」を楽しみにしていたし、

埼玉行きの電車でMV見て涙ぐむくらいには「キョウイゾンミライ」を好きになったし、

今パラゴンに「一緒に行こう 次の時代へ」と言わせた誰かが存在する限り、私はこの沼で幸せに生きていけると思うし、

実は全編通して、自分の中でいちばん「ブラボー!」ってなった演目は「ショコラティエ」だったんだけど。

それでも、「Shadow Kiss」がとても刺さったし、「パシフィック展望台」で久々に泣いてしまった。

「何回も越えて行こう」と伸ばされた手を取れることが幸せで、天辺のその先を確かめられる日が着実に近づいていることに震える。

一方で、「あなたが望むなら地獄だっていい」か、と聞かれたら、そうですね、とストンと思ってしまうのだ。

 

……このブログずっと地獄の話してるな。思えばそもそもこんな名前だし、それはあなたの二つ名から来ているのにね。因果かな。

こんなに「君じゃなきゃ」じゃなかったはずなんだけども。

 

 

 

私にこれを書かせたライブがDDPでよかった、というのは8/16に行けなかった強がりが5割です。

 

困ったもうライブが見たい、のに来月の予定にねじこめていない。