2023年3月14日のこと(MeseMoa.日本武道館公演雑感)
全世界に向けたすごく個人的な記録です。
ひところずっと、人目を忍んだり忍ばなかったりしながら、私の推しの作詞曲であるReLITの「ジャンプ!!」の話をしていた。
「ジャンプ!!」の話というのはつまり、ひとはアイドルにどう在ってほしいのか、私達はどんな物語に魅せられたいのか、という話だった。少なくとも私と、この話に付き合ってくれた友人にとっては。多分。
細切れに、結構長らくその話をしていた。
でも、何かひとつ共通の結論にたどり着いたかというとまったくそんなことはなくて、お互い自分のしたい話をしただけだった。通常運転ですね。知ってた。でも多分、過去一に近いくらい、この話がいちばん分かち合えなかった、と思う。
私が、「このアイコンで言うの我田引水っぽくて嫌なんだけれど、あれとかこれとかから、め。のモチーフって今『鳥』なのだと思っていて」と言ったら、
彼女は、「言いたいことはわかったが、自分にはそのイメージはない」(意訳)と言った。
「生まれつき飛ぶように出来ている生き物、ではない、と思ってしまう」と。
それはでもそうなんだろう、と思った。ここが摺りあわない、というか、起点が違う理由がどこにあるのかも、何となくわかった気がしていた*1。
そうして、ふと「Rabbit Jump!!」の歌詞を思い出して、
「跳ぶ」と「飛ぶ」と「翔ぶ」の違いを調べて、いちばん上に出てきたサイトの説明を読んで、ちょっとどころではなく震えた。
とぶには「飛ぶ」と「跳ぶ」のほかに、「翔ぶ」という漢字もある。
翔ぶの意味は、空高く飛ぶ、大空を自由に飛びまわる。
飛行機や鳥ではなく、火の鳥などの空想上の動物が空高く飛ぶことや、自由に飛び回ること。また、そのようなものにたとえた比喩として使う言葉で、文学的な表現である。
「頂点を目指し跳ね続ける」生き物だったのが、羽を得て、後に伝説の生き物になる。
私が彼女に薦められて、連載の途中から読み始めたのは、確かにそういう物語なのかもしれなかった。
ーー2023年3月14日。MeseMoa.の日本武道館公演がありました。
※配信チケットが2023年3月21日 21:00まで購入可能です。
グループ結成からは10年強。目標が示唆されてからは7年半弱、正式に宣言されてからは5年と10ヶ月。
いつ彼らを好きになったかによって、「武道館」というものの位置づけは全然異なるのだと思うのですが、
たとえば、4年前に沼に足を踏み入れた私にとってMeseMoa.は、
「『えっパシフィコ公演とかやるんだやばいな、1枚でも力になりたいな、てかなったほうがいいんだよね』とか思ってたら秒でチケットが売り切れて、舐めてました大変失礼しました、となったアイドル」だったので、
……もちろん、その後の期間を抜きにものは語れないけれど、
「武道館」を、突拍子もない話だと思ったことはなかった。それは自分にとって、「いつか来る未来」だった。
加えてもともとハロオタでもない自分は今回、事の重大さがちゃんとわかってるんだろうか、「10年の重み」みたいなものを、少しでも理解できているだろうか、とやや不安になりながら、それでもへらへらと、能天気なくらいに、2カ月半ぶりのライブがただただ楽しみでした。
でもそれ全然間違ってなかった。楽しかったほんとうに楽しかった。掛け値なしにただただ楽しいライブだった。
結構涙もろい自分が、本編中は一度も泣かなくて*2、ずっとワクワクしてた。
そうあれたのは、多分、推しがずっと楽しそうにしててくれたからなんだと思う。
私の推しは、野崎さんは、前々から話してくれてた通り、「たのしくね」を体現していて。
登場からずっと楽しそうで、笑みを隠せていなくて、
力強くて、隅々まで思いを届けようとしてくれてるのがすごく伝わってきて、
本当にそうだねって思いながら聞いた「Flower Wind」、センターステージでの堂々たる「New Sunshine」、見惚れてしまった「真逆の糸」、眩しかった「Shine on you」……だめだキリがないですね。
この人のためにペンライトを灯せることが、声を枯らせることが、本当に幸せだなと思った。
余談ですが、冒頭で触れた推しの作詞曲の「ジャンプ!!」は、「上ばかり見るのではなく、地面や足元を大事に思ってほしい」「初心を忘れないで欲しい」「自分を支えてくれるファンの方々を大事にしてほしい」という思いの散りばめられた曲で*3、
その歌詞の中で、私は「手を取れ」がいちばん好きです。
「手を取れ」って聞くと自分は、たとえば崖から引き上げるときとか、連れ去って逃げるときとか、移動に余裕のある側が言うシーンを想像するんだけど。
でも、別に羽はないんですよね。何なら最後靴もない。余裕なんか全然ない。
それでも手を取らせるんだ、後輩が歌うために書いた曲だし、意識無意識はわからないけど、それがこのひとのアイドル観で覚悟なんだ、と勝手に思って。
その胆力に、怖いくらいゾクゾクする。だから好き。
アリーナからぐるりと見渡した武道館は、さすがにとても大きくて、
でも、釣り合わないとか、御しきれないとか、そういう感情は正直全然なくて。
その気持ちは、天井までのペンライトを見た瞬間にピークに達して、
すごく当たり前のこと言うけど、じゃあこの世にはまだまだ大きな会場があるのだなぁ、と思って。
ああなんだ、今日はてっぺんのその先を確かめにきたつもりだったけど、
てっぺんの先に待つのは「さらに険しい次の山々」なんだな。最初に書いてあったわ。2で出てた。いつだって、この期に及んでも、そうなんだな、
でも、
とかなんとか考えてたら、なんか「横浜アリーナ」って文字が見えて叫んでしまいました。超ロックで超よかった。
はちゃめちゃに楽しいライブをしながら、それでも、どうあっても物語になってしまうこの人たちが好きだ。
カウコンで「Poralis」を聞いて、あんなに好きだ好きだ言ってたくせに、いや好きなんだけど、「こんな歌割だったっけ」って思ってびっくりしたこと。
オタク語彙で申し訳ないけど、そのとき、ああもうこの人たちは伝説になることにしたんだ、と思った。
6月以来、「どうあってもこの物語を読み終えよう」だった気持ちが、このとき明確に「この話の続きが読みたい」に変わったのを覚えてる。嬉しかった。
そういえば幕張の「陽之鳥」を見たときは、私「大気圏に飛び込むみたいなパフォーマンス」って書いてたんだった。
跳べ!!飛べ!!翔べ!!の先に「銀河系クラシック」にたどり着くの、できすぎてて笑ってしまう。すごくいい曲でした。宇宙にも寝室にもいるみたいな。「続く銀河系の暮らし」。
……人は「どうあがいても跳び続けては、飛び続けては居られない」のかもしれないし。
そうしたら今度はどこに連れて行ってくれるんだろう、と楽しみに思う。走ってもいいし潜ってもいい。前も書いたけど、あなたが望むなら地獄だっていい。もちろんもう一度飛んだっていい。それが「縦横無尽の未来」なんだろうから。
でもとりあえずなんかもうしばらく、上を見上げる日々が続きそうだ。
2023年3月14日。
前回のブログで、
旅の帰り道は寂しいけど、でも、あたたかで幸せな時間だ。つまらないとは思わない。
そうやって帰りたい。1月1日も。1月15日も。3月14日も。きっと。
とか書いたときはさ、しっとりしんみり、寂しくもあたたかな気持ちで家に帰るのだろうと思ってたんですよ。
まさか横アリのキャパをググりながら帰ることになるなんて夢にも思わなかった。最高。
楽しかった。未来が綺麗だった。それ以上何があるだろうかと思った。
最高のライブをありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします!
*2:最後の挨拶と、あとパンダドラゴンがOPAに名前Tシャツで現れてネオトラやったときに泣きました。すぐそういうことする。好きだよ。