善意で敷き詰められている

脈打つ大地の檜皮色/君の好きなグリーンでもっとハイになって

33歳駆け出しアイドルを推す人生のこと

はてなのお題が「アイドルをつづる」だと聞いて、作ろうかずっと迷っていたブログを思わず作ってしまった。更新は低頻度になるのが目に見えているが、たとえ一過性のものであっても、情熱を大切にすることには意味がある気がする。情熱に突き動かされて動くことの価値。それは私が、アイドルを推す上で学んだことの一つだ。

 

……という書き出しの記事が下書きに放り込まれているのを数カ月ぶりに見にきた。我ながら一過性すぎる。いや情熱が通り過ぎたわけではなくて、愛が重すぎて記事が完成せずそのまま放置してしまったのだが、やっぱり140字では語れないことを語る場は欲しく、それなら最初の記事は絶対これにしたい、と思って重い腰を上げた次第である。今週のお題が「大切な人へ」だったのにも縁を感じる。ということで改めて。

 

齢30を過ぎて、初めて「アイドル」という職業の人たちに傾倒することになった。それもTVをつければ当たり前に姿を見られるような人たちではなくて、CDは手売りか通販、活動状況を知るにはTwitterがいちばん早い、というような、「地下」とは言わないまでもメジャーではないアイドル。

私は今、9人組ボーイズグループ「MeseMoa.」のメンバー、野崎弁当氏(33歳・北海道出身・メンバーカラ―茶色・元図書館勤務)を心から応援している。彼を推すに至った経緯と今の気持ちについて簡単に(5,000字~)つづっておきたいと思う。

 

 


「推しがいる人生」に憧れていた

2018年はとにかく忙しい年だった。2年間の休業を経て前年に復帰した部署は成果至上主義で、なかなか数字が伸びない中、泥縄の打開策と中長期の立て直し案を繰り返す日々。仕事と家族のことで24時間はほぼ埋まってしまった。エンタメへの興味はないではなかったが、必要以上に心を動かされると日々の生活に差し障りが出ると判断し、極力感受性のスイッチを切って暮らしていた。

友人たちの交流もだんだん減ってしまっていたが、Twitterで様子だけは知っていた。私の友人は軒並み、なんであれ「推し」がいる人たちである。ジャニーズ・宝塚・ハロプロフィギュアスケート。自分が明るくない分野でも、何かに熱を上げている人を見るのは楽しかった。みんな自分で幸せになれる人たちなのだと思い、友人たちがそういう人であることを誇らしく感じた。

中でも、すっかり音信が途絶えていた大学時代の先輩が、アイドル(先に書いてしまうがこれが「MeseMoa.」である。なお推しメンは別で彼女は気まぐれプリンス推し。メンバー名が軒並みアレなのは仕様です)にハマっている、という事実は個人的にだいぶ衝撃的なことだった。私の中で彼女はとても「熱い」人ではあったが、その情熱は自分自身の人生か、あるいはもっと大きなもの(たとえば世の中、とか)に注がれるものだと思っていたので、彼女が一グループのしかも一個人に傾倒して、ライブもイベントも、行けるところは全部行く、みたいな暮らしをする「強い」オタクになるとは思ってもみなかった。

うらやましいな、と思っていた。彼女が。友人たちが。「推し」のいる人生が。自分にだってもちろん情熱を注ぐ先はあって、それは前出の通り仕事と家族なのだけれど、それらにはいつだって責任がつきまとう。もっとシンプルに、言葉は悪いがもっと無責任に、生活に潤いをもらえる対象がほしいなとずっとずっと思っていた。

 

でも海へ行くつもりじゃなかった*1

そんな心境を見透かされていたのだろうか、とある金曜日の夜、ちょっとしたやり取りをきっかけに先輩からURLが大量に送られてきた。いずれも、Youtubeに上がっているMeseMoa.のPVだった。ついにこの日が来たか、という気持ちで、とはいえかなり能動的に開いて見始めた。生活に潤いがほしかったから。

そこで即今の推しに一目惚れしました、となれば話は早いのだが、現実はそんな即堕ち2コマのような急展開は見せない。いちばん最初に見たのは4thシングルのPVだったのだが、それはキャッチーなメロディー+色っぽい決め台詞+カジノのディーラー風の衣装+若干の肌色、という内容で、 「大手じゃないアイドルは出し惜しみしなくていいですなぁ(ゲス顔)」というのが率直な感想だった。

でも、「これ好きなやつだ」とは思った。送り付けられたURLの動画を繰り返し見て、関連動画をたどって、メンバーの区別がちょっとずつつくようになって。好きな曲ができて、彼らの歴史を知って。

「推せるんじゃない?」と思った。「この人たちは応援したほうがいいんじゃないか」と。もともと別に夢や志があったわけではない、ただ仲の良い踊り手の集まりであったこと。その延長で始めた「アイドル気取り」に真剣に取り組むようになったこと。仕事との両立の兼ね合いで活動休止していたメンバーが、専念できる体制を作ってちゃんと帰ってきたこと。卒業したメンバーが、彼らのために事務所を立ち上げてその社長に就任したこと。今でもみんな仲がよく、「数年前のネタで一生笑ってる」とよくこぼしていること。武道館を目指す、と公言している、伸び盛りの人たちであること。 

無責任に誰かを推したいと思っていて、「推せる」と思える人たちを知った。そのマッチングに浮かれた私は、彼らのライトなオタクになることを決意する。いわゆる「在宅」というやつである。幸い、先輩はチケットは一緒に取れると言ってくれた。ふだんはYoutubeTwitterを見て楽しく過ごして、近くでやるライブとかあるいはツアーファイナルとか、タイミングが合うものには行けたらいいな、くらいの軽いノリで応援しようと思った私は、今思えばずいぶん浅はかだったと思う。そこから2カ月後、私は血反吐を吐く思いでTwitterアカウントを新設し、こうつぶやくことになる。

 

しばらく現場に行ける気がしないので、野崎弁当の大ファンになったってことをせめて書き留めておかねば…

 

海へ行くつもりじゃなかったのだ。どうしてこうなったんだろう。

 

野崎弁当という人

この項には本来「いかにして推しを推すに至ったか」の明確な回答が入るべきだと思う。ただ実はその、正直あまり経緯というか順序をよく覚えていないのである。たとえば第16回DDChannelでの心理戦にときめいた記憶はあるが、あれを見るためには小銭だが課金が必要で、つまりその時点で「推しが出るなら課金しよう」という発想があったことになる。上述のアカウントを作ったのは1月だったが、写真集はAmazonで発売日に手に入れていた。情緒が不安定すぎる。現場でお会いした同担の方が、「気づいたら沼の底だった、感がない?」とおっしゃっていたがその感覚がまさに近く、浅いところでチャプチャプ遊んでいたつもりが、いつの間にか引き返せないくらい深みにハマっていた。

ただ振り返ってみると、やっぱり人柄を知るたびにファンになっていったなぁと思う。忙しいはずなのにマメにツイートや配信をしてくれるところとか、事務所への差し入れの数の子数の子)(タッパー入り)にきちんと割りばしが数膳添えられているところとか。どーもくんを被って踊っている姿は毎回ガサガサ音で笑えて温かくて大好きだし、教養と文才を余すところなく発揮しているブログは笑えて泣けて何度読み返したかしれない。 もともと実生活でも文章がうまい男性を好きになりがちなのだが、まさかアイドルを推すときにも文章力を重視することになるとは思わなかった。

書き言葉だけではなく話し言葉も好き。というかたぶん氏はあまり区別していないと思う(漢語が多い)。配信でいつもふわふわにこにこ話しているように見えて、実は全方位に向けた配慮を怠らないところも推せる。彼の発言にはたいてい前置きがある。「現代日本においては」「〇〇を前提としたうえで」「あくまで僕個人の意見ですが」なんなの理系なの? もしくは政治家なの? 反射神経が必要なゲームは軒並み苦手そうなのに、なんであんなに場を察することができるのか不思議で仕方ない*2

こう書くと玉虫色の回答ばっかりしている御仁だと誤解を受けるかもしれないから書いておくが、もちろんそんなことはない。どこにも偏らず、でも明言すべきことをきっぱり言い切る能力のある人だという印象である。それができるのはたぶん、人の顔色をうかがうんじゃなくて、自身の芯がある――しかもそれが「陽」由来のもので――そのうえで配慮ができる人だからなんだと思う。

 

グループのリーダーやエースではない。言ってしまえば一番人気というわけでもない。でもだれよりも努力家で誠実で、彼は私にとって、もっとも「推しがい」のあるアイドルだった。あとこの先触れる機会がなさそうなのでここで書くけど顔もすごい好き。

 

結局お前は幸せになれたのか

「大ファンになった」というツイートをして、ライブを見に行って、手紙を書いて、会って言葉を交わして、リプライを送って、頻度は少ないながらそういうことを繰り返して、この間で1年になった。

ここまで正直に書いてきた以上この項も正直に書くしかない。めちゃめちゃ幸せでそれなりにしんどい。チケット抽選のたびに寿命がすり減る思いがするし、参加できないイベントの日はうつろな目でTLを更新し続けている。フリーの時間を手に入れるために仕事のスケジュールを調整して、家で頭を下げて外出許可を取って…というのも、決して心地よい作業ではない。まだ買えるチケットがあると思うとすぐ財布を出したくなってしまうし、貢献度合いはさておき、心情的には「無責任」がいまいち達成できていない状況である。しかも仕事や家族と違い、頼まれてもいないのに!

せっかくハマったなら本当はオタ活ファーストな暮らしにしたいのだが、とはいえ仕事も家族もある。性格的に貢献型タイプのくせに、なかなか思うように詰んだり通ったりできない我が身を歯がゆく思うことも多い。

それでもこれらはまあ、副作用として受け入れるべきものなのかなとも思う。感受性スイッチを開けたら当然付随して味わう痛みだったのだろう。多少長い人生を経て心の感度の調整は比較的うまくなってきたので、うれしいことは最大限に、悲しいことは最小限になるよう調整弁を働かせるようにしている。結果、差し引きとっても幸せな日々である。

そして、何かを投げ打つようなドラスティックな解決法を探すのではなくて、わずかでも自分のペースで推し続けよう、と思えるのは、氏がかつて北海道での仕事と東京でのアイドル活動を数年間両立していたという事実に起因しているかもしれない。気力も体力も想像を絶するが、このことで私がいちばん彼を尊敬しているのは、「早急な結論を出さなかった冷静さ」である。仕事を辞めることもアイドルを辞めることも、きっと選択肢としてはいつだって目の前にあったはずだ。それでも、どちらかに安易に飛びつかずに、選びとるのに最適なときを待った。そうして、30歳になる年に満を持して上京してアイドル活動に専念し、今では俳優としても活躍の場を広げ、個人のお仕事も定期的にこなされている。

そういう人を推すのだから、自分も焦らないことにした。いつか自分の気持ちと環境と先方の活動とすべてが釣り合って、「自分の望むように推せる日が来る」と信じている。いや実際には焦ったり悔しがったり七転八倒しているけれど、まあ気持ちの方向性ということで。

今しか見られないものはある。今がんばらないと見られない未来もあるかもしれない。だからできることはする。でもたとえ今の自分にそれがかなわなくても、「いつかできるようになることを諦めない」。

……そういう話なんだろうなぁと思っている。

 

てっぺんのその先の先

そしてその気持ちを支えてくれるのが、「推し続けた先になにがあってほしいか」という妄想である。彼らがきっと目標を達成して(確信)、その後も活躍の場をどんどん広げて、私もそれを自分なりに精一杯応援して、だんだん家族の手が離れて仕事が一段落して、そうやって続いていく人生の先に。

そんなころに私は推しのディナーショーを見に行きたい。そこはきっと今の生誕祭のように多幸感の溢れる空間で、推しはもう「サイレントマジョリティー」を踊りながらポテトの早食いをするとかはやらなくて(命にかかわるから/やったらどうしよう)、でもきっとあの笑顔で歌ったり踊ったり漫談したりしてくれる。

 

……我ながら重い願いだな。でもまあいいんじゃないかな。だって「一生の推し」だもの。

だから細くても長く、あらゆる意味で元気でいようと思う。「66歳しゃかりきアイドル」なんて挨拶を 、いつか聞けるように。*3

 

*1:cフリッパーズ・ギター。語感が好きで「こんなはずじゃなかった」くらいの意味でよく使ってしまうのだけど、MeseMoa.の代表曲のひとつである「パシフィック展望台」に「今から海を見に行こう 特に理由なんてないけど」という歌詞が出てきて妙な符合にニヤニヤしてしまったりする。

*2:どちらかというと、頭が回るように見えてリズムゲーが苦手なことが不思議。

*3:現場で知り合った方にこの話をしたら、「私は野崎さんの還暦祝いパーティーに行きたいと思っていた」と言われて感動したことがある。茶推しィ~!(握手)